マーラー”巨人”CDライナーノーツ、 「編曲をめぐって、岡城千歳との対話」より抜粋


今回の「巨人」は、ブルーノ・ワルターの4手ピアノ版を基にあなた自身が編曲したわけですが、ワルターの編曲はどんなものだったのでしょうか? そしてそれをさらに発展させるにあたって、特に何に気を付けたのでしょうか?

―― ブルーノ・ワルターがマーラーのもっとも優れた弟子のひとりであったことは広く知られていますが、彼がマーラーの第1交響曲と第2交響曲を4手ピアノ用に編曲したことはあまり知られていません。彼がどういった目的でいつ頃これらの編曲を行ったのかは、大きな謎です。どちらの編曲もユニヴァーサル・エディションから出版されており、それらを検証すると、主としてアマチュアの楽しみのために書かれたものだということが容易に推察できます。おそらくは、プロのコンサートではなく、ホーム・コンサートやパーティーで演奏することを目的に書かれたのだと思います。というのも、演奏が容易になるように故意に簡易化された部分がたくさんあるからです。ですから、この音楽が持つ生命力溢れる豊かさをキーボードでフルに表現しようとすれば、オリジナルのオーケストラ・スコアをあらためて参照し、様々な問題を解決しなければならなくなります。ひとつだけ例を挙げましょう。第1楽章冒頭に、「イ」音が56小節続くオスティナートがあります。この後に主題がチェロで入ってくるのです。ご存知のとおり、ピアノはひとつの音を弾いてもすぐにそれが減衰してしまいます。弓が弦を擦り、それが共鳴して音が出るヴァイオリン族と違い、ピアノの音は、ハンマーが弦を打つことによって生み出される仕組みになっているからです。こうして私は、編曲作業の最初から大問題に直面することになりました。ブルーノ・ワルターは、単純にふたりの奏者に「イ」音を56小節間反復させることでこの問題を解決しています。それによって音が保持できるからです。しかし、ただ「イ」音を反復しただけでは、この音楽が持つ神秘的な雰囲気を創り出すことはできないことがすぐにわかります。しかもこの部分は、この交響曲の重要な序奏部なのです。ワルターは偉大な指揮者で、自らの軍隊であるオーケストラを使って、望み通りのものを生み出す術を心得ていましたが、マーラーをピアノ編曲で演奏する場合のアイデアは、ピアノ演奏に基づいたものではありませんでした。そこで私は、この音楽を“ピアニスティック”に響かせることによって問題を解決する必要がありました。では“ピアニスティック”とはどういうことか、という疑問がすぐに浮かんできます。マーラーが“ピアニスティック”である必要がなぜあるのかという疑問です? その答えは、すべての音符をスコア通りに演奏するのではなく、それらの音符の存在理由を解明することによって、マーラーの根底にあった思考を再創造し、それをピアノで再現することなのです。音符の背後に何があるのか? 彼がスコアに書き記した音符は何を目的としているのか? なぜ彼はこの作品を書かなければならなかったのか…そういった疑問を解明していくのです。もちろんこれは、演奏家としてどの作品でもたどるステップですが、よく知られた傑作を編曲してそれを演奏するというのは、究極的な、ラディカルな、新しい行為であって、オリジナルの代替物やいい加減な模倣などではまったくないのです。編曲の目的は、演奏形態こそ異なってはいますが、オリジナルの場合と同じく、音楽に奉仕するものでなければなりません。“ピアニスティック”であるということは、この目的に最良の結果を生み出すひとつの方法であり、唯一違っているのは、“手段”だけなのです。この“手段”の違いによって、物事を別の角度からはっきりと見ることができる場合もあるのではないでしょうか。

---日本語訳 Sorel